今年の秋もとても素晴らしい紅葉を見ることができました。わたしは柳津温泉に生まれ育ち、ここで商業者として生活しながら、幾度となくこの紅葉に助けられたような気がします。
ご存知のようにお寺の町として福満虚空蔵尊圓蔵寺、奥之院、糸滝不動尊月光寺をはじめ、温泉街から見える山々では毎年目を見張る紅葉絵巻が繰り広げられます。中でも圓蔵寺境内の白壁の紅葉は絶景です。サクラもそうですが美しい紅葉を見るときもわたしは感動して涙腺が緩みます。「ああ、来年もこの美しい自然を眺めることができるといいなあ」と毎年、ツエをつきながらしみじみと言っていた亡き祖父の言葉を思い出します。美しいこの自然を見ていると、いつのまにかわたしも力がわき、ますます仕事に励もうと考えます。
千年以上も昔から栄えてきたわたしたちの門前町。そこには営々と築かれたお寺の歴史とともに、先祖が歩んできた町のにぎわいがあり、その歴史を今も刻み続けています。例えば戦国時代、北条攻めのあと秀吉は会津に5日間滞在して会津各地にさまざまな指令を出します。その一つに圓蔵寺への寄進状があり、今に伝えられています。
お寺は千年以上の歴史の中で数回、地震や火災などで損壊しています。ですがその都度お寺と信者の方で力を合わせ、再建してきたそうです。現存する建造物は江戸時代末期の文政元年に大火があり、13年後に落慶法要が行われています。当時の資料には民家が106軒、宿坊が6軒、もちろんお寺の境内はほとんど火災に見舞われ、柳津村は大打撃を受けたようです。その時の渇巌和尚様が、「災難にあわないように」と悲しみにくれている村人や信者らに分け与えた物が、今に伝わる名物あわまんじゅうの始まりということです。
先日、お寺のすすはきという大掃除に参加し、たまたまロープを探しに縁の下に入っていくと、直径2mちかくある大きな石が見えました。よく見るとそれを土台として、なんと64本ものケヤキの大木が柱としてお堂を支えていたのです。一本一本会津や奥会津各地から奉納されたもので、その場所や地名がはっきり記されていました。例えば「御蔵入○○村○○奉納」というように。縁の下には縁の下で支えているドラマがあるのかな、と当時の難工事をはるか思いおこしました。町の長老の方が言うには、今度焼失したら二度とこのような立派なお堂を再現するのは不可能だということです。
歴史とは不思議なもので、その大火のおかげかどうか戊辰戦争のときには難を逃れたのです。というのは二十数年前にようやく完成したお寺をまた焼け野原にされたくないという気持ちが働いたかどうか、当時の香林和尚様が討ち死に覚悟で追手をかわしたそうです。そのためわずかに鉛の鉄砲の弾が数発お堂に撃ち込まれただけでした。その後代々の和尚様により、今のような一年中参詣客でにぎわう境内となりました。
さてわたしたちはこの先何をなすべきでしょうか?これまでの千年の歴史を引き継ぎ、そしてこの先の千年を受け継いでくれる若者や子供たちに、今を生きる私たちの熱い思いや感謝の心を伝えていくべきだと考えます。そして千年のちに生まれかわろうとも、あのお寺の白壁の紅葉を愛(め)でたいと思うことでしょう。
第101期民報サロン執筆 塩田恵介会津柳津温泉「花ホテル滝のや」経営。河沼郡柳津町柳津在住、46歳。旅行会社に3年間勤務したあと家業を継ぎ、現在は多彩な分野の人を招いての講演会を毎月開催。趣味は観光ボランティアガイド。 |